
キャンサーペアレンツとは
こどもをもつがん患者の方が、同じ境遇の方を探してつながり、仲間になることができるコミュニティサイトです。
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新着日記
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かんちょい (48)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4
急展開!!
なんと先週末に退院しました! 駆け付けてくれた仲間たち、応援してくれるサバイバーの仲間たち、支えてくれた家族、高いレベルの医療従事者のみなさまからパワーをいただき、少し症状が落ち着き安定したタイミングでの退院となります。 決して病状が回復したとか、治ったということではなく、主治医からは確実に進行している状況という説明を受けた上での退院。 病状は、日々めまぐるしく変動しつつも、しばらくはやや安定しており、点滴も外れ、特に治療せずに経過観察してました。 1番のネックである肝臓付近からの出血を内視鏡治療(硬化療法)により抑え込むことで、ある程度の効果が出たようです。 一方で同時進行している腹水の溜まり具合やむくみの症状もあることや、今回の入院での内視鏡治療にて肝臓内の血管の出血箇所を止血したことにより、すでに別ルートで胃のほうに向かっている血管が10日間くらいで発達しており、主治医曰く、破裂して出血するまでは概ね2〜3ヶ月かな〜と言われたので、改めて余命1ヶ月が余命3ヶ月に更新されたような感じで、結局は延命処置なのでイタチごっこのようです😞(現に腹水が溜まっているので疲れやすいし、動きにくいし、息苦しいし…) とはいえ、7/4に主治医から言われた『余命1ヶ月程度』はなんとかクリア出来そうな状況になりました。 当初心の中で誓っていた「できる限り入院する」ことについて、病院は治療して回復を目指す施設のため、今の自分のように、いつどうなるかわからない患者であっても、いま治療行為をしていないため、これ以上長くは居られないとのこと。 自分としては、正直家に戻ったらストレスもあるし、何かあったときに手遅れになる可能性もあり、なかなか手放しでは喜べるものではないですが、半ば追い出し?になったような感じです。 結局病状が回復したわけでもなく、常にリスクを抱えているため、容態が急変した場合、119番通報で救急隊が来ても搬送に時間を要すため、家族には負担かかるし不安しかありませんが、主治医からは「家に戻れるラストチャンスかもね」と言われております。 このままの状態が安定していれば、8月からは自宅に近くて大学病院と連携が取れる病院に転院して、抗がん剤治療(オニバイド)をダメもとで再開しようと思います。 なかなか現実は厳しいですが、もう少しがんばってみます! 7/4に主治医から説明を受けてから3週間。まさかここまで症状が安定して、退院するとは思ってもいませんでした。 ヒトの身体って本当に不思議なことばかり。 ぐっちさんがCPで立証させたかった『つながりは、生きる力になる』ことを、今とても実感しています。数字化することはかなり困難ですが、明らかに生存期間に大きな影響があると、個人的に感じました。 自分の部屋のように飾り付けした床頭台も片付けて、病室からの見慣れた景色とも一旦区切りをつけて、無事に帰宅。 運良く当選したラベンダーリングのポスター撮影まであと1週間。なんだか行けそうな気がします!
2025年07月27日10
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nishizoo (65)
三重県 / 非ホジキンリンパ腫 / ステージ4
本当に久しぶりです。エプキンリ治療中です。
4年ぶりの本当に久しぶりの投稿です。65歳になり、子供たちも独り立ちして、この場にはそぐわないかもしれません、めったにない経過をたどっているので、何かのご参考になればと思い投稿します。 まずはこれまでの経緯をまとめます。 2019年12月 びまん性大細胞型悪性リンパ腫と診断。 当時、私59歳、妻56歳(専業主婦)、長女25歳社会人・一人暮らし、長男22歳大学生・自宅通学、次女15歳中三、母83歳認知症あり、要介護3、デイサービス・ショートステイなどを利用しながら在宅介護。 そのままR-CHOP1週間入院、自宅療養2週間を8クール、2020年6月退院。 6月末で会社はいったん定年退職し、7月より嘱託社員として継続勤務。 2020年8月~9月 残ったがん細胞あり、放射線治療平日5日間×5=25日通院治療。 2021年3月~6月 2月末に再発発覚、自家末梢血幹細胞移植のため入院。 2022年4月 会社を退職し、以前担当していた取引先の役員待遇で再就職。 2025年2月 再発確定、CAR-T治療開始(イエスカルタ)。 2025年6月 退院。 2025年7月 CAR-T効かず、エプキンリ治療のため再入院。 現在、私65歳(無職)、妻62歳(専業主婦)、長女31歳既婚・共働き・東京在住、長男28歳社会人・県内で一人暮らし、次女21歳大学生・東京に下宿、母89歳要介護5、特養に入居中。 CAR-Tもエプキンリも最新の治療法で、保険適用ですが、適用前の診療報酬は恐ろしく高額です。しかもエプキンリがもし効かない場合は、今のところこれ以上の治療法はないという、切羽詰まった状況です。 この病気の厄介なのが、それほどの自覚症状はなく、切羽詰まった感じがないところ。 とりあえず、今後の経過をまたポチポチとつづります。 興味のある方はご覧ください。
2025年07月26日17
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あつし (39)
大阪府 / 大腸がん / ステージ3
がん発見の経緯
2025年4月、息子といちご狩りに行ってお腹いっぱい食べたあと数時間後〜翌朝まで、これまで経験したものとは違う強い腹痛がありました。かなり耐え難い痛みでしたが、時間経過と共に快復したので、ただの食べ過ぎと思い過ごしていました。 しかし、刺激の強い食べ物や消化の悪いものが続いた時には同様の症状が稀に起きるようになってきたことから、その度に地域の内視鏡クリニックで診てもらっていました。 クリニックで症状を伝えると、採血の結果次第ではすぐに入院が必要かもということでしたが、血液検査は全く異常なく、レントゲンとエコーでは腸炎のような所見であり、投薬で炎症を抑えて対処していました。これが7月初旬です。 この頃は豆腐、卵、うどんなどで済ませ、一度外食ランチを摂ったときの翌日にまた腹痛という状態でした。職場のストレスもそれなりにあったので、胃腸が相当弱ってるんだろうな…程度に感じていました。 クリニックから念のために大腸カメラをおすすめされ、実施したのが7月18日、鎮静から目覚めて朦朧とした頭のまま先生からすぐに呼ばれ、すみやかに大腸がんと伝えられ、すぐに最寄りの総合病院を紹介され、どこにも寄り道せずに真っ直ぐに向かいなさいとデータCDを手渡されました。 カメラを撮る前の先生の温和な雰囲気からは一変、一切の無駄を削ぎ落とした緊迫した対応が、事の重大さを物語っていました。 鎮静剤の影響か、実は気が動転していたのか、クリニックから徒歩10分のJCHO大阪病院までの道のりはほとんど覚えていません。無音の白黒みたいな世界でした。言語化が難しいですが、ここで私の心が何か根本的に変化したような感じがあります。 病院に到着次第、再び採血とレントゲンやCT、肺活量測定などを行い、先生からは「おそらく3b」と伝えられました。がん細胞が臓器の壁を超えて同一部位のリンパにまで進んでいる(浸潤というらしい)のはほぼ確実で、他臓器に転移は無さそうだがCT画像を専門医が見て4日後に再度伝えるということでした。 これまで数週間の食事制限や、当日朝からの大腸カメラ、急展開を経て大急ぎで病院を移っての各種検査が同日の夜まで続き、1日中何も食べずにフラフラになった状態での3bもしくは4という宣告は、心身に堪えるというよりは、世の中には現実のみが存在するという極めて当たり前の帰結を促す性質を持っていました。 とにかく4日後の最終診断まで、果てしなく悶々とした日々を過ごすことになりましたが、 それよりもこの事実をどのように家族や友人に伝えていくかの方が大きな問題で、私が愛する人々のリアクションが容易に想像できてしまう分これは本当に憂鬱でした。 がんになってまず理解したことは、自分だけの問題じゃないこと、むしろ関係者全員に関わることだからこそ辛さがあること、しかしその部分にきちんと向き合うだけ希望が生まれることでした。 これはきっとがん当事者になってのみ得られる着眼点だと思います。 これから大変な事がたくさん待っていると思いますが、きちんと取り込んで前進していこうと思います。
2025年07月24日4
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いも。 (58)
徳島県 / 卵巣がん / ステージ2
歳を重ねる
今日は誕生日。 結婚出産が遅めだったこともあり ある時から歳をとることがマイナスに感じてた。 ガンになり当たり前でないと気づき ありがたいなと思えるようになりました。 朝からお祝いメッセージたくさんいただき幸せ。 会社の上司からケーキ🎂 娘からはビール みんなありがたい。ありがとう💕 色々あるけど これからも重ねていけたらいいなー
2025年07月21日20
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35歳でのがん告知、最後の仕事

闘病中に感じた孤独感
2015年2月、35歳のときに「ステージ4のがん」の告知を受けました。頭が真っ白になり、何も考えることができませんでした。家族や友人、職場の同僚などの支えで日常生活に戻ったものの、大きな孤独感を抱えながら、手探りの日々でした。
同世代のがん体験者が周囲にいなかった。相談できる人がいなかった。しかし、小さなお子さんを持つがん患者が毎年約6万人(2015年国立がん研究センター調べ)増え続けている事実を目の当たりにし、「孤独を感じながら闘病しているのは、自分だけではないはず」と、子どもをもつがん患者でつながれる「キャンサーペアレンツ」を2016年4月に立ち上げました。
現在も、週に一度の通院による抗がん剤治療を続けながら、会社ではたらきながら、キャンサーペアレンツの活動を平行して進めています。いつどうなるかわからない状況の中、最後の仕事と位置づけて取り組んでいます。
キャンサーペアレンツ起案者
西口洋平(ぐっち) 2016年4月